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詞とメロディのギャップについて、阿木さんは
「じっくり聴いてくうちに、あ、なるほどなと思って。多分もうちょっと聴くと、
こなれてきて、2人のびっくりの感じが、唖然ていうんじゃなくて、
うまく融合していくようになるんだと思うんだけど」
と話されています(明日香・見聞録Ⅱからの引用)。
作詞者の場合、メロディがない状態で作詞して、メロディがあがってきてビックリ
ということもあると思いますが、一般の人はラジオなどで同時に知ることになります。
私が「彼岸花咲いた」を初めて聴いたとき、詞とメロディのギャップを
不自然に思った記憶はなくて、これはこれでいい曲と思ったんじゃないかな。
なんせ、昭和50年代のことなんで・・・
この曲のレコーディングでギターを担当されたのは加藤雅夫さんです。
加藤さんは他にも「悲しいね」でもレコーディングに参加されています。
「悲しいね」の作詞は名古屋音楽大学の同窓生である藤田結香さんです。
たぶん、藤田さんもビックリだったと思います。
いつだったか、明日香さんが悲しい曲を悲しく歌うのではなくてというような
話をしていました。前向きに生きるという人生観がでているのかも。
「まあるくいきて」は、「クルックルッ」というコーラスが印象的でした。
「ケセラセラソング」の「ケ・セラ・セラ」って、今では死語ですよねえ。
昔の映画に由来していて、詞にあるように「どうにかなる」というような意味だと思います。
人生いろいろありますが、私も今、予想外の人生になっていて、でも、
「ケ・セラ・セラ」と思っています。
「イマジナシオン」は阿木さんがどのような思いで作詞されたのか、
私は知りません。今、この曲を聴いて思うことは、一種の反戦ソング。
そう思うのは、たぶん、私だけでしょうね。
世界的に有名な反戦ソングとしては「イマジン」があり、
それもあると思いますが、「空よ」を聴いて、そう思いました。
「空よ」はよい曲ではありますが、メジャーから若い女性の歌として
リリースするには、無理があったと思います。
「明日香・見聞録Ⅱ --コーヒーと蒸しイモ--」の中で
詞を紹介するのが精一杯だったかと。
プラカードを掲げて「戦争はんたーい」という時代は過ぎた後でしたが、
「普通」(他の人と同じ)でありたい欲求が強く、個性が強いと
あまりよくは思われませんでした。
違うからこそ、いいってこともありますよね。
戦争は国レベルの話だけど、一般の人が自分できることといえば、
まずは違いを認めること。
平和の実践を個人レベルで、恋愛を絡めてというのが
イマジナシオンということかなって。
「空よ」をCDとしてリリースするにあたって、これを聴いていただいた方の
「じゃ、どうすればいいか」という問いに対して、「た・い・せ・つ」という曲を
カップリングに選びました。
国レベルのことでも、結局は個人の意思の集合なわけだから、
「た・い・せ・つ」も聴いていただくことで、行動につなげるかと思って。
ちなみに、この曲の作詞者は当時のマネージャでもある夏紫子さんです。
阿木さんの受章をきっかけに、「コーヒーと蒸しイモ」の各曲を聴きました。
「イマジナシオン」で反戦というキーワードが思い浮かんだことに、
自分でも少し驚いています。
最後に、「コーヒーと蒸しイモ」というタイトルを見て、いつも思うことを。
それは送り仮名。「蒸し」だと「むし」と読めるので、「蒸かし」の方がいいかなって。
普通の人は、「コーヒー」と「蒸(か)しイモ」の組合せに着目すると思うけど、
自分はそれにはあまり気にならなくて、送り仮名が気になって・・・
ついでに言えば、蒸かすよりも、焼いた方が美味しいかと。
皆さんの思い出話も教えてくださいね。
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